赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

赤生津神楽「ヤマタノオロチ」

 

▼生母青木 及川照男氏

昔小学生のころ一度だけ神楽演目で「ヤマタノオロチ」を見た。吉田の八幡神社だった。布袋に糠をつめヘビに見立て、面をつけた。安部万王さんのちち貞美さんが、横たわり手足を使って5mほどの大蛇を躍らせた。血を吐き出す場面では糠をまき散らした。小野寺正文さん(笹森の上、屋号いなだ)が太鼓をたたいた。

赤生津神楽「とりまえ」は、赤生津小学校でちょうど娘(照男氏)が子どものころからはじめられた。旧赤生津小学校があったときまで盛んだった。平成27年に閉校後は見られていない。成岡田では今も神楽をやっている。