赤生津安部家は照井舘の出身である。照井館には代々、照井太郎が住み、胆沢平野の穴山堰を開削していた。その穴山堰は、胆沢平野で白鳥川の北側高地に平行に掘られている。高地から低地へと水が流れるようにかと思われるが、地図を見ると現胆沢ダムからトンネルで白鳥川に掘られている。これは、白鳥川の水量を増やすための目的に見える。白鳥村の水田のためにひかれた堰であろうか。およそ800から500年前のことである。
赤生津安部家は照井舘の出身である。照井館には代々、照井太郎が住み、胆沢平野の穴山堰を開削していた。その穴山堰は、胆沢平野で白鳥川の北側高地に平行に掘られている。高地から低地へと水が流れるようにかと思われるが、地図を見ると現胆沢ダムからトンネルで白鳥川に掘られている。これは、白鳥川の水量を増やすための目的に見える。白鳥村の水田のためにひかれた堰であろうか。およそ800から500年前のことである。