2025-04-01から1ヶ月間の記事一覧
(著者)奥羽山脈にいたタモノキ族のみでは、畿内との文化交流は難しいと見て、やはり、畿内から落ち延びた物部氏が胆沢を開拓し、主となったのではないか。その後、アラハバキなど原住民や移住者との対立が激しく、衰退したものであろうか。 300年代初頭 畿…
(著者)陸奥国三春藩の第9代藩主秋田孝季(あきた のりすえ)によると、邪馬台国の旧臣が移住した東北には、多くの古墳があったという。図には前方後円墳なるものも見られている。邪馬台国の文化が引き継がれて、これら古墳が築かれたとみるか、南からの勢…
(著者)日ノ本の国は、ナガスネヒコなどが、日向族に追われ、東北に落ち延びた際に、原住民と混血し、文化や軍事、産業面で強大化した国といわれる。5世紀までは、国史がなく、証明されにくい国ではある。ナガスネヒコの武勇を誇りに系統は続き邪馬台国を…
(著者)胆沢ダム周辺にタモノキ沢があり、2世紀~5世紀まで、タモノキ族がおり、熟皮工芸を生業に生活していた。国史のない時代で記録は限られるが、蝦夷といわれる、狩猟を中心とした生活を営んだ阿蘇部族ではないか。 胆沢開発史60 太母鬼一族胆沢に移…
(著者)東北を開拓するために攻め込んできた朝廷側に対し、饒速日命の後裔である安倍氏の祖先の過ちを詫びて、朝廷に味方する。その印として、安倍比羅夫の安倍氏を名乗ることとした。こうして、奥州安倍氏は、陸奥開拓に全面的に協力する。当時は、秋田方…
安倍致東(あべちとう)は、奥州安倍氏の祖先とされる人物で、「日下将軍」の称号を持つと伝えられています。彼は蝦夷征伐において功績を挙げたとされ、奥州安倍氏の始まりに関わる伝説的な存在です.この称号は、蝦夷の反乱を鎮圧した功績を評価されて授けら…
(著者)「田村麻呂と阿弖流為93」のおろしべ公を襲う「狄従」とは誰がを紐解くことで、角塚古墳の主が見えてきそうである。なぜ、古墳の主が衰退していったか。 胆沢開拓考によるタモノキ族の存在が大きいのでは。朝廷の開拓に理解を示すか、反対するかの勢…
(著者)移民により胆沢郡の人口や郡を増やし、産業を増やしたという。 京都の高貴な存在が、東北の富を奪い、何もできなくなる状態にしたという。 東北開発史129 討伐に伴ふ移民拓殖 故に蝦夷大征伐も其一手段にして、主とする所は天ノ富命の遺圖の継承にあ…
安倍・安部一族(日本家系家紋研究所)67 (四)阿部比羅夫が男鹿地方を征したとき、齶田蝦夷恩荷なる者、投降して小己上の位を授けられる。この子孫奥州の六郡を領して東夷の酋長となる。忠頼、忠良をへて頼良に至ると。 (五)神武天皇と戦いし長髄彦の兄…
(著者)角塚古墳に象徴される支配者は、大和からきた勢力で、現地の蝦夷との軋轢で、争いが絶えず、これを平定したのが安倍氏ではなかったか。そのため、支配者の政権は短命となったのではないか。 胆沢開発史40 644年 物部氏と鳥取氏は東北にきた 未開拓地…
「会津旧事雑考」では、紀元前97年の時代に安倍姓があたえられたというが、5.6世紀の出来事と思う。奥州の初代安倍氏は蝦夷征伐で手柄を得たとある。 隠された物部王国「日本」126 崇神帝の時代に蝦夷が叛乱を起こしたので、大彦命の子の安倍河別命(かわわ…