赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

山ノ神屋敷古文書③「庭訓往来」

 

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庭訓往来

 

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9月

 

「庭訓往来」とは?

庭訓往来
ていきんおうらい

中世後期から近代初頭にわたり普及した初歩教科書で、いわゆる往来物一種作者は僧玄恵(げんえ)との説もあるが不明南北朝末期から室町前期に至る間のとされている。進状・返状各一対ずつの書状を1年の各月に配し、閏(うるう)8月の進状一通を添えた25通の書状からなる。書状には社会万般の事物に関する単語をあげ、武士庶民の心得おくべき社会生活、生産活動上の知識を網羅している。中世の普及期を経て近世に入り、教科書として編纂(へんさん)・刊行される過程において、幼童・庶民向けへの教育的配慮も加えられ、長く広く愛用された。

[利根啓三郎]

『石川謙・石川松太郎著『日本教科書大系3 古往来3』(1968・講談社)』

概要[編集]

擬漢文体で書かれ、衣食住、職業、領国経営、建築、司法、職分、仏教、武具、教養、療養など、多岐にわたる一般常識を内容とする。1年12ヶ月の往信返信各12通と8月13日の1通を加えた25通からなり、多くの単語と文例が学べるよう工夫されている。写本や注釈本、絵入り本が多く存在する。時代を超えて普遍的な社会常識も多く扱ったために江戸時代に入っても寺子屋などの教科書として用いられた。古写本で30種、板本で200種に達する。

尚、庭訓とは、『論語』季子篇の中にある孔子が庭を走る息子を呼び止め詩や礼を学ぶよう諭したという故事に因み、父から子への教訓や家庭教育を意味する。

形式と内容[編集]

形式(手紙文の「書き出し」、生活上必要な「単語群」、手紙文の「締めくくり」、日付、差出人名、宛名の順序)

  • 単語群の題材
    • 1月(新年の会遊)、
    • 2月(花見詩歌の宴)、
    • 3月(地方大名の領国統治、勧農、館の造り、果樹)、
    • 4月(領地の繁栄と為政の心得、市町の経営と諸職業人の招致、商取引の施設と業種、諸国特産品)、
    • 5月(家財家具、調理品名)、
    • 6月(盗賊討伐への出陣、武具乗馬の借用、出陣の命令系統と心得、武具・馬具の名称)、
    • 7月(競技会の衣装、諸具、諸器)、
    • 8月(司法制度、訴訟手続き、問注所・侍所の組織と職掌)、
    • 8月単状(将軍家若宮の行列の威容)
    • 9月(大法会に寄せて、伽藍・仏像、法会の式次第、役僧、舞童、諸道具)、
    • 10月(大斎の行事にちなんで、点心、寺家の諸役、僧位僧官の名称、布施物、点心用の食品・菓子・茶具・汁・菜などの食品食物)、
    • 11月(病気の種類と治療法、病気予防・健康保持のための禁忌)、
    • 12月(地方行政の制度、着任の模様、行政管理の模様)