赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

養蚕で繫栄した「赤生津・安部」

 

 

赤生津下屋敷と山ノ神屋敷の所有する系図では、1600年代に赤生津安部家は1軒、1700年代には11軒である。本家畑屋敷系図の5代兵部(推定1645~1715)には「田畑請繁昌也」とある。前沢町史「赤生津村の養蚕」には、「宝暦3年(1753)から御百姓四郎兵衛が、養種商人松屋太兵衛の手先となって、赤生津一円を一手販売……この後盛んになっていった」とある。この古文書は山ノ神屋敷安部家が所有していたことから、「四郎兵衛」は畑屋敷8代安部四郎兵衛(推定1705~1775)と考えられる。