赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

2022-02-03から1日間の記事一覧

畑屋敷メモ

畑屋敷メモ 【吉田及川照男氏ききとり】 〇旧畑屋敷 現在の家屋の北側に広大な屋敷(養蚕業か?)あり 15代四郎兵衛(1846(弘化3)-1920(大正9))まで 〇近代の畑屋敷 現在の家屋の南側 16代幸蔵(1867(慶應3)-1943(昭和18)) 〇現在の畑屋敷 17代夘…

「『赤生津・安部氏』の出自を尋ねて」第1報から7報まで概要

「『赤生津・安部氏』の出自を尋ねて」研究概要 赤生津安部家には、衣川安倍頼時の七男を祖とする口碑伝承がある。 11世紀の古代末期、陸奥国北部に威勢を振るった在地豪族、安倍貞任や宗任、白鳥八郎などで名を馳せた安倍氏である。安倍頼時は平安時代の武…

山ノ神屋敷古文書?⑤一峰

山ノ神屋敷古文書④?「普通読本」

普通読本 明治20年4月11日から明治25年4月10日まで文部省検定済小学校教科用書

下屋敷古文書「鹿踊免許皆伝」

鹿踊免許皆伝

山ノ神屋敷古文書③「庭訓往来」

庭訓往来 9月 「庭訓往来」とは? 庭訓往来ていきんおうらい 中世後期から近代初頭にわたり普及した初歩教科書で、いわゆる往来物の一種。作者は僧玄恵(げんえ)との説もあるが不明。南北朝末期から室町前期に至る間の作とされている。進状・返状各一対ずつの…

養蚕で繫栄した「赤生津・安部」

赤生津下屋敷と山ノ神屋敷の所有する系図では、1600年代に赤生津安部家は1軒、1700年代には11軒である。本家畑屋敷系図の5代兵部(推定1645~1715)には「田畑請繁昌也」とある。前沢町史「赤生津村の養蚕」には、「宝暦3年(1753)から御百姓四郎兵衛が、…

「平泉・藤原氏」の時代は、安倍でなく「安部氏」

【「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第一報 岩手県奧州市前沢生母・赤生津地区における「アベ」姓世带数分布の特長】 中尊寺の金色堂の修理は、たびたび行われているが、明治三十年の修理時に、棟木に墨書が記されているのが発見され、金色堂は天治元年(一…

「赤生津7軒」伝説の畑屋敷は、第四代安部三四郎

元禄11年(1698年)赤生津村図(生母吉田及川照男氏所蔵) 慶長8年(1603年)徳川家康が江戸幕府を開いた後、慶長末頃には赤生津村には屋高は21軒あった。その後、借金、殺人などに関連した逃亡や逐電、また老衰、疾病、乞食で死亡するものなどがあり、屋高…

古代東北の雄「安倍氏」

「前九年合戦絵巻」(源頼義・安倍頼時が決裂し合戦へと至る)出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システㇺ(https://colbase.nich.go.jp) 古代東北の雄「安倍氏」 前沢町史下巻㈠によると、「平安時代の中期後半に岩手の奥六郡を制覇した安倍氏は、その一族…