高山掃部長者269
義家は衣川柵に迫った。
衣川柵では貞任を総大将として北股川岸を叔父(小松柵?)に守らせ力戦奮闘断固として柵を守った。清原武則の家来はその精鋭十五人を選び暗夜嵐に乗じて川を渡り北岸の陣営(藤原業親柵=泉ヶ城?)を焼打ちしたなど又北岸の陣には日夜胆沢の上幅に住む貞任の兄井殿盲目から送ってくる兵糧食があったのであるが、偶々不運にも此の倉にも火の手がのび遂に焼け落ちるのを見た貞任は意を決し、翌早朝を見計らい俄(にわか)に柵を開き一目散に上衣川の方に逃げだしたのである。
外史2
兵糧を蓄え
外史3
衣川の城へ公米を収納する
中尊寺が南東に見える
泉ヶ城は、四方を川に囲まれた珍しい島のような地域である。どこからでも川を渡らなければ城にたどりつくことができない。