白鳥舘と東舘(赤生津城)は、本城、支城の密接な関係にあります。城主9代から1585年落城まで仕えた大石家老の時代には、赤生津城に2万7千石、母体、赤生津、田河津、黒石など下胆沢を広く知行しました。田河津産金などの積出港で秘密の要衝地でもあります。北上山地の産金は重要な財源で、阿弖流為の時代から鉱山事業が進められ強大な財力を得ました。
村名 |
平安・鎌倉(~1333年)・南北朝期 |
室町(1336年~)・戦国・ |
白鳥 |
白鳥城址(鵜ノ木)白鳥八郎 行任のち白鳥治部少輔、天正中まで、のち天正中佐藤豊後岩淵伊賀、天文三田主計白鳥八郎、小野寺入道某(柏山伊勢守良従)照井館(太郎高晴 新城館 熊谷直胤一万一千刈加賜) |
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小嶋 |
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東城(猪岡館)、猪岡玄蕃、白鳥治部 西城、小嶋三右衛門、古舘は不明 |
母体
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内城 (千葉民部居住)天正中まで (母体越中はまちがい)(明応三柏山伊勢) |
赤生津(日河津) |
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東舘 天正(安部小次郎重綱)? 白鳥治部少輔(白鳥民部) |
安倍頼時(則任の父)-1057/奥州藤原氏1087-1189/天文1532-1554/天正1573-1591
史料 仙台領内古城・館 第1巻 紫桃正隆著
生母地区史料(生母教育史) 鈴木将夫氏、鈴木福美雄氏
生母地区史料(生母教育史) 鈴木将夫氏、鈴木福美雄氏
東館(赤生津城)遺跡発掘調査報告書
菅原正氏