赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」。さらに阿弖流為時代にさかのぼり、祖先安倍高丸を追う

悪路王は阿弖流為か、安倍高丸か

陸奥国には5人の首長がいて、その中に、阿弖流為、モレ、安倍高丸がいて、いずれも、安倍氏の後継者であると見える。当初は、坂上田村麻呂とともに陸奥を開拓していた。安倍高丸は、開拓者の一人であるが、朝廷側から敵対視され、一方的な鬼あつかいをされている。高丸の住処であり、処刑された達谷窟では、今もなお、悪人扱いされた昔話が残る。いずれも、産金が争いの種である。

 

あづま海道90P

達谷窟の悪路王は、阿久利王と云われ、その子は、江刺の伝説の勇者「人首丸」である。

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悪路王の弟は、「大武丸」。

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あるいは、大武丸(悪路王)の子を「人首丸」という。

 

達谷窟毘沙門堂 綠起|達谷窟毘沙門堂 別當 達谷西光寺

 

遠野市6P

安倍高丸=大武丸=悪路王=赤頭(アテルイP213)=奥州蝦夷首長

という。

 

東日流376

荒吐王に五王あり。①安国王、②東日流麻呂、③水嶋足、④阿弖流為、⑤母礼

380

安日彦の祖継に恥らぬは「阿弖流為王」