赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

天正のころ昔木館(前沢城)に阿部四郎丈夫安部成(しげ)任古雄居給(いたまう)。安倍一族か?

【前澤町郷土史史料・2】

〇昔木明神

〇昔木館

葛西動乱期の追記、樫山伊勢守二男居城の頃に、前沢御沢城居住す、此城は元来阿部四郎丈夫安部成(しげ)任古雄居給、昔木館と云名地也古来明神の社地有、此所は白狐住玉山御室有此城は官位無くして難所なり

(註)この記録は葛西氏の滅びた天正18年以後慶長、元和の頃に書いたものであろう。その頃までにこの伝説が伝わって居たものか。

阿部ー安部ー安位、成(しげ)任ー重任と発音は共通して居るから、安倍貞任の兄弟、北浦六郎重任と同一人ではないかと考えて見た。併し北浦六郎重任の住居は、今の岩手郡雫石北浦で、その地に稲荷社もあるという。後に改名したとしても四郎を六郎と改める事は考えられないから別人であろう。安倍氏滅びた後、その一族か藤原秀衡に仕えて、前沢の館に居つたのであろうか。今のグラウンドの東下に稲荷社があった。