赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

白鳥は葛西の直轄地。恩賞だけの家臣除き、居住した城主は、白鳥治部、照井高晴のみではないか?そのうち天正中いたのは白鳥、照井は子孫がいた

前沢町史中巻160】

白鳥は葛西の直轄地か

白鳥村は再三、葛西の恩賞の地となっている。

永享11年(1439)金沢北館主熊谷小太郎直胤に 1万2千苅

天文12年(1543)前沢領主三田主計頭重明に永代 5千苅

永禄11年(1568)猪岡領主猪岡又太郎に永代  2千苅【偽書?】

元亀3年(1571)前沢領主三田刑部少輔義広に 5千苅【偽書?】

天正3年(1575)佐藤豊後守(母体西館住か)白鳥村に知行という記録が出る。【偽書?】

かくも軍功恩賞の地となることは、白鳥村は葛西氏の直轄領であった証左であろう。

 

岩手県史4・21 城館主名

白鳥

〇白鳥城址(鵜ノ木)

  白鳥八郎行任のち白鳥治部少輔、天正中まで、

  のち天正中 佐藤豊後【偽書?】

  岩淵伊賀【不明 前沢町史中巻238】

  天文 三田主計【偽書?】

  白鳥八郎、

  小野寺入道某(柏山伊勢守良従)

〇照井館

  太郎高晴

〇新城館

  熊谷直胤一万一1千刈加賜

 

【当調査】

白鳥村に知行宛行されたうち、石巻市に葛西偽書のリストを照らし合せた【偽書?】。

偽書は香炉印などに疑問があるという。勝手ながら信頼をおける城主と見るのは次のとおりであろうか。

白鳥舘・・・白鳥八郎、白鳥治部少輔

照井館・・・照井太郎高晴(1189)

新城館・・・熊谷直胤(1439恩賞)