古代東北の雄「安倍氏」
前沢町史下巻㈠によると、「平安時代の中期後半に岩手の奥六郡を制覇した安倍氏は、その一族、重臣を北上川流域の要衝の地に配置した。安倍氏の首長頼時は下衣川に居を構え、二男貞任を厨川柵(盛岡市)に、三男宗任を鳥海柵(金ヶ崎町)に、五男正任を黒尻柵(北上市)に、六男重任を北浦柵(雫石町・別説に比浦柵江刺郡稲瀬)に、八男行任を白鳥舘(前沢町)に、比与鳥柵、大麻生野柵その他に、それぞれ重臣を配置し、……。」とある。
赤生津安部家には、安倍頼時の子孫という口碑伝承がある。
古代東北の雄「安倍氏」
前沢町史下巻㈠によると、「平安時代の中期後半に岩手の奥六郡を制覇した安倍氏は、その一族、重臣を北上川流域の要衝の地に配置した。安倍氏の首長頼時は下衣川に居を構え、二男貞任を厨川柵(盛岡市)に、三男宗任を鳥海柵(金ヶ崎町)に、五男正任を黒尻柵(北上市)に、六男重任を北浦柵(雫石町・別説に比浦柵江刺郡稲瀬)に、八男行任を白鳥舘(前沢町)に、比与鳥柵、大麻生野柵その他に、それぞれ重臣を配置し、……。」とある。
赤生津安部家には、安倍頼時の子孫という口碑伝承がある。