赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

伊達世臣家譜に小次郎「赤生津に居り、五千刈(8町歩)の地を領し」。寛永には4町7反か

伊達世臣家譜の安倍小次郎は、「天正の頃(1587年頃)磐井郡赤生津に居り、五千刈(八町歩)を領し」とあり、「岩手県史」第4巻(71頁)の寛永19年(1642)検地帳には、畑屋敷安部三四郎4町7反4畝27歩で持高3〆(貫)857文とある。

 

小次郎が畑屋敷安部であるならば、所有地は55年で半減したことになる。