赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

「平泉・藤原氏」の時代は、安倍でなく「安部氏」

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【「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第一報 岩手県奧州市前沢生母・赤生津地区における「アベ」姓世带数分布の特長】

中尊寺金色堂の修理は、たびたび行われているが、明治三十年の修理時に、棟木に墨書が記されているのが発見され、金色堂は天治元年(一一二四年)、藤原清衡によって建立されたこと、また建立に際しては三人の女性が関わったことが分かった。この墨書には、「大檀散位藤原清衡」の下に「女檀安『部』氏(右側)・清原氏(中央)・平氏(左側)」と横に並べて書かれている。この「女檀安『部』氏」は清衡の母方の安『部』氏(衣川・安『部』氏)と見られるという。このことから、「衣川・安『部』氏」あるいは「平泉・藤原氏」の時代には、衣川・安『部』氏」の「アベ」は「安『倍』」ではなく、「安『部』」と表記されていた可能性が高いことを、今後、さらに強く留意すべきではなかろうか。