赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

義経の妻の父が、照井の祖となる説?

 

【「鐵心郷潤」61】

「川越太郎平重頼 照井氏の祖なり」と川越家系図にある。

 

【著者】

藤原泰衡源義経を殺した。泰衡の郎党に照井太郎がいた。

殺された側の「義経」の妻の父は、「河越太郎だが、照井太郎の祖となる」のはありえないのでは?

 

藤原泰衡  郎党 照井太郎

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源義経   正室 郷

      鎌倉御家人・坂東武士河越太郎重頼の娘/九郎義経の正妻

      父は、所領を奪われ、領主の重頼は誅殺

      ※「川越太郎平重頼 照井氏の祖なり」と川越家系図

      河越太郎が、娘が義経の妻であることから誅殺されたが、系図では、一関照井に落ち延びて、潜んだという。

 

藤原泰衡】文治5年、源頼朝の意を受けて,父が保護した源義経を攻め殺したが,許されず,頼朝の追討をうけて敗北し,夷狄島(北海道)へ逃れようとして,途中,肥内郡贄柵(大館市)で郎従河田次郎に殺された。その首は頼朝のもとに届けられたが,返されて,中尊寺金色堂におさめられた。耳,鼻が削がれ,額にを打った跡があり,梟首されたことが分かる。この首は長く忠衡のものと伝えられていたが,首の跡などから泰衡のものと判明した。