赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

母体、赤生津村にも金産出

豊臣秀吉の天下統一により、全国の金山、金山が独占され、金貨・銀貨が鋳造。母体村、赤生津村では、藤原氏時代から白鳥氏が金山を経営。その権利は全て奪われた。

 慶長17年(1612)、田河津村がまだなく、母体村や赤生津村に含まれていた頃。農家は、金堀(上木)や紙すき(成岡田)を兼業。やがて、金堀目当ての入植者が増えてきた。

前沢郷土史叢№3-55頁

矢ノ森八景の一つ、藤壺の滝は藤原秀衡公ゆかりの金山址(藤原時代は赤生津村)