【言い伝え】
奥州仕置きのころか。石巻から3人で逃げてきた。一人は日形(花泉町)へ行き、一人は赤荻に、一人は花巻へ逃げた。日形といえば黄海が近い、小次郎が葛西晴信からの知行宛行地である。先祖からの伝承である。
赤荻に逃げたのは、2代の上野であろうか。3代の大学であろうか。初代はすでに老齢で戦える年ではない。
初代外記之助は、天正18年の7月に亡くなっている。奥仕置きの1か月前である。討死、戦死でなく老衰であろうとのこと。
3代大学の弟、安部小次郎の子孫は、総本家の系図にはない。赤生津安倍の記載があるのみ。赤生津安部本家の場所を知りたいと。まったく行き来はなかったという。
初代外記之助から17代まで、下屋敷北側の土地に旧墓地がある。墓碑の上には初代には㊀、2代には㊁、3代は㊂と刻まれ、戒名や没年が風化せず刻まれている。
総本家には、鎧や鑓がある。そして、葛西晴信感状がある。
山目の隋波の系図は知らない。子孫も知らず、龍澤寺が管理しているものと思う。