赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

著者・偽書に関して

 

【著者・偽書に関して】

 今後の研究課題として、気仙兵乱に関わった安部外記之助と安部小次郎の軍功を表す葛西晴信感状に対する偽文書の疑いについて、何らかの意見が加えられなければならない。気仙兵乱に関わる葛西晴信感状は、石巻市の平成3年の研究により、35家臣のすべての感状が、香炉印が偽物により偽文書の疑いがあることの指摘がある。小次郎宛晴信感状を石巻に見つけた時も同様の指摘がある。葛西没落後に仙台藩などが気仙兵乱参陣者への遅れての論功行賞でないかと推察される。感状の宛先に、住人や子孫などの名が多いからである。葛西晴信は、部族間の対立であるこの「浜田の兵乱」に気を取られたため、小田原参陣が出来ずに、秀吉の奥州仕置きを受けこととなる。偽文書は「浜田の兵乱」の事実を覆すことはできないと考えられる。岩手県宮城県をまたぐ郷土史の大きな課題であることから、識者の見解を待たなければならないが、研究がいまだ進んでいない。岩手県史はじめ市町村の気仙兵乱の史実をくつがえし、参陣した武士の子孫の由緒にも影響することから、早急な研究を願うしだいである。