赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

陸奥話記1062年9月7日。源軍が白鳥に進軍、大麻生野と瀬原(白鳥館周辺)の2柵を攻め落とす

 

翌日7日、官軍は衣河の関を破り、胆沢郡白鳥村に進軍した。大麻生野と瀬原(水沢市前沢町白鳥館周辺)の2柵を攻め落として捕虜1人を捕まえた。この武者が言うことには「今回の度々の合戦の場で、わが軍の将の死者は数十人に上っている。この中には、あの散位である平孝忠殿、金師道殿、安倍時任殿、同貞行殿、金依方殿などである。この方々はみな大将である貞任殿と宗任殿の一族である。また勇猛で鋭敏で名の通った選りすぐりの武者であった・・・」と。