赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する。さらに阿弖流為時代にさかのぼり、祖先安倍高丸を追う

北方の守としての照井館

 

岩手県郷土誌(昭和53年発行)27頁

前澤町〔沿革〕より

平泉藤原氏の時大字白鳥字鵜ノ木に衣關を置き、また瀬原には柵を築き照井氏それを守る。蓋しこは北方の備なるべし。

 

岩手県郷土誌40頁

水澤町〔沿革〕より

村内(現前沢古城)に姥屋敷或は姥神塚と稱する處あり、平泉なる藤原秀衡の乳母の生地は當地にて、屋敷は後年乳母の居たる所、塚は乳母の墓なりと傳ふ。……平泉藤原氏は今の前澤の地に北方の守として照井館など置きしゆゑ、或はさうしたる意味にて、藤原氏などが置きしものか。

 

岩手県郷土誌321頁

泉村〔沿革〕より

衣川の北岸には由利八郎秀忠・白鳥八郎泰衡・金澤四郎基輔・大川太郎行文・金十郎高道・赤田次郎兼達・伊賀七郎盛廣・大川口平次兼任、秋田三郎政文・照井太郎高春……など一族諸武将の邸宅並び、以下の家々の多くはこの北岸、十日市の如き市場も亦にありき(いま此等の址の多くは北上の河道たり)。

 

 

 

 

〔照井館址〕大字白鳥字照井館にあり。平泉藤原氏の臣照井氏が居りし處にして、平泉の北方の守りとし好適の地。西磐井・膽澤両郡の平野山岳を一望の下に見渡し得、付近にいま松樹繁茂し風景佳なり。