赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

生母の歴史ロマンと地域づくり①

大昔、生母には、束稲山の鉱山資源と農業を開拓した祖先がおりました。

ところが、陸奥の資源をめぐって、朝廷と蝦夷の合戦に巻き込まれることが度々ありました。また、頻繁に、水害や干ばつに見舞われました。そこから、自然災害に負けない農業づくり、信仰心と地域の助け合いが生まれたと伝えます。

 

今やその歴史は評価され、日本農業遺産や平泉世界遺産緩衝地となりました。しかし、人口減少がはじまっています。次世代となる若者などが、さらに誇りと愛着を持ち続けるまちづくりが願われます。今一度、生母の誇れる歴史を再発見して、住み続けたいまちを考えてみたいと思います。