大昔、生母には、束稲山の鉱山資源と農業を開拓した祖先がおりました。
ところが、陸奥の資源をめぐって、朝廷と蝦夷の合戦に巻き込まれることが度々ありました。また、頻繁に、水害や干ばつに見舞われました。そこから、自然災害に負けない農業づくり、信仰心と地域の助け合いが生まれたと伝えます。
今やその歴史は評価され、日本農業遺産や平泉世界遺産緩衝地となりました。しかし、人口減少がはじまっています。次世代となる若者などが、さらに誇りと愛着を持ち続けるまちづくりが願われます。今一度、生母の誇れる歴史を再発見して、住み続けたいまちを考えてみたいと思います。