赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

【第1話】武士が帰農した村 「赤生津七軒」の足跡

 

赤生津七軒の農村文化あかし~

赤生津神楽目録(山ノ神屋敷所蔵)

萩荘村、胆沢狼ヶ志田(おえなしだ)通じて、明治37年、赤生津に伝わる。台本には43演目あり、「八岐大蛇退治」なども演じた。大蛇の中は籾殻だったという。

鳥舞と八岐大蛇

 

行山鹿踊免許皆伝書(下屋敷所蔵)

平泉、小山村を通じて、江戸時代に赤生津に伝えられる。昭和戦前まで月山神社で披露。平屋敷安部家、新地鈴木家、斎田初貝家が指導した。

 

頌徳碑(しょうとくひ)

赤生津には功績をたたえる碑が二つ

 

法華経供養塔

天明2年(1782)「大乗妙典日本回国」とある。救いを求めて巡業したあかしと考えられる。

 

 

岩手県南史談会研究紀要51集

生母赤生津の養蚕農家の文化とその歴史的考察」