赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」。さらに阿弖流為時代にさかのぼり、祖先安倍高丸を追う

大墓公阿弖流為の祖先は、胆沢の角塚前方後円墳の被葬者か

 

 

 

 

阿弖流為 樋口知志 2013年 10P

角塚古墳に葬られたのは地域社会の王・・・大崎平野古墳文化勢力と深い関係・・・伊沢地方で大型古墳が角塚古墳1基だけしか造営されなかったことも、東北地方と中央政権との関係の変化による影響を受けている

角塚古墳造営より三世紀ほど後に阿弖流為が登場してくるのは、単なる偶然ではないだろう。

 

三十年戦争蝦夷政策の転換 鈴木拓也 1016年 53P

夷大墓公阿弖流為・・・「大墓公」・・・「おおはかのきみ」と読み、東北の前方後円墳である角塚古墳に関連付ける説が注目

 

大墓公と悪路王 小岩末治 昭和43年 80P

胆沢を代表する人物が、先祖の湯らによって「大墓の公」と呼ばれ・・・角塚古墳の主と、血統的にもつながりのあった人でしょう。

 

胆沢史談26号 昭和50年 角塚古墳の被葬者と止止井神社  24P

前方後円墳 角塚墳墓造の指導者として扶任されたのが大墓公(その後孫が、やがて蝦夷化豪族の大墓公阿弖流為と見てよいだろう)と思われる。