赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

昭和12年に公開された伊達世臣家譜の赤生津安部氏

 

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【下袋屋敷系図】「外記之助、小次郎まで、赤生津に居住し天正18年葛西家没落に際し、大学に至って、旧領地の赤萩に居住したものであろう。

【一関千刈田阿部卯吉所蔵】天正18年葛西家没落に付、家中の諸士、或は戦死、或は離散」

(安部研究65P)

【隋波・阿部家系図及阿部家由緒略記】その祖は遠く安部貞任にさかのぼるのであるが、後代外記之助に至って葛西晴信に仕え家老職に在り。上野、左近、大学、その次男讃岐に至り、葛西家は没落し、安部一族も分散したので仙北に逃れた。その後磐井郡に帰り来たって赤萩下袋に住した。讃岐、清右ェ門の子、九左ェ門重貞(随波)の父である。