【下袋屋敷系図】「外記之助、小次郎まで、赤生津に居住し、天正18年葛西家没落に際し、大学に至って、旧領地の赤萩に居住したものであろう。
【一関千刈田阿部卯吉所蔵】天正18年葛西家没落に付、家中の諸士、或は戦死、或は離散」
(安部研究65P)
【隋波・阿部家系図及阿部家由緒略記】その祖は遠く安部貞任にさかのぼるのであるが、後代外記之助に至って葛西晴信に仕え家老職に在り。上野、左近、大学、その次男讃岐に至り、葛西家は没落し、安部一族も分散したので仙北に逃れた。その後磐井郡に帰り来たって赤萩下袋に住した。讃岐、清右ェ門の子、九左ェ門重貞(随波)の父である。