【岩手県史3・156】
戦功諸士への加増
気仙兵乱関係文書20余を中心として、その軍功に基く諸士への所領知行の跡を窺うと、この兵乱によって、諸士の所領が、あるいは没収、あるいは加増されたことが知られる。伝えられる文書、家伝によって見ると、登米・本吉・気仙・東西磐井・江刺・胆沢・栗原・桃生の諸郡にわたり、牡鹿郡のみ見えていない。
この内、気仙郡浜田五千苅は及川彦三郎に、一千五百苅は畠山泰義に、浜田村長部村五千苅は岩淵経義に、勝木田五千苅は佐藤信夏に、二千苅は菅原長定に、今泉五千苅は矢作重常に、広田三千苅は菅原長定に宛行されているのは注意される。浜田氏の所領や、その与党の知行が削減または没収され、軍功のあるものへ加増されたことを物語っているものと知られ、他の郡の場合も大方、その傾向を示すものであろう。胆沢江刺に異動が少なく、流郷を除く西磐井にも異動の少ないのは、この方面に動揺の少なかったためであろう。
郡名 郷名 宛行高 軍功者
東山 黄海 五,〇〇〇苅 安部重綱へ
参陣諸氏
浜田乱に際し、太守晴信より感状を授けられた諸将士の内、いまに知られているものを示すと左のごとくである。
葛西側(※46名記載)