赤生津・安部氏の出自を尋ねて

衣川安倍頼時の七男「比与鳥七郎」から「葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前」までを探求しています

2021-05-30から1日間の記事一覧

安部小次郎は葛西家臣から赤生津に帰農し、甥の孫が山目で伊達家臣となり一族再起

安部小次郎の祖父外記之助(赤荻)は、軍功により葛西晴信より赤生津に五千苅を与えられた。赤生津東舘に住した安部小次郎も軍功により黄海村に五千苅を与えられたが、葛西没落により赤生津で帰農することとなる。一族は再起を願いやがては、小次郎の兄大学…

気仙兵乱文書では、赤生津住人「安部小次郎重綱」あて感状

【岩手県史3・156】 戦功諸士への加増 気仙兵乱関係文書20余を中心として、その軍功に基く諸士への所領知行の跡を窺うと、この兵乱によって、諸士の所領が、あるいは没収、あるいは加増されたことが知られる。伝えられる文書、家伝によって見ると、登米・本…

気仙兵乱の軍功感状は偽香炉印。小次郎もまた偽文書に。没落の後のやむをえない発行ではないか

【石巻市役所】 葛西晴信偽文書の研究者見解に従えば、正文は①香炉印の上部に二つの突起があり(偽文書にはない)、②香炉の腕が上部がしまり気味で肘が角ばっている(偽文書は開き気味である)、③香炉の底の横線も明瞭で地についている(偽文書は不鮮明)、…

「安部小次郎宛葛西晴信感状」の石巻で発見。安部家はなぜ手放したか

【当調査】 令和3年5月に、石巻市役所毛利コレクションに小次郎宛晴信感状があることを知る。赤荻阿部家の阿部徹夫氏、赤生津山ノ神屋敷(本家代理)の安部万王氏、畑屋敷本家18代の弟 照男氏に聞くと、その存在を知らないという。石巻市史★では、葛西氏から…

赤生津安部家8屋敷の系図を所蔵するが。由緒と初代が見つからず。

▼赤生津安部家分家 山ノ神屋敷 安部万王氏所蔵 赤生津安部家の本家分家を含む8屋敷の系図を所有している。 昭和年代に家屋を改築の際に、居間の天井近く壁の「なぎす?」裏から、隠されていた8系図が発見された。推定1900年ごろまでの系図であり由緒はない…

安部は、赤生津帰農に。赤生津祖となるが、刀狩や切支丹弾圧により改名や出自を隠さざるを得ない状況に

▼一関市文化財調査委員 小野寺啓氏 【平成23年7月発行・岩手県南史談会研究紀要・23頁】 安部外記之介論考~安部徹良氏論文と関連して~ 一関市文化財調査委員 小野寺啓氏 安部小次郎重綱の帰農について 小次郎が赤荻に戻り帰農したとの史料は、一関側では未…

毛利コレクションとなった安部小次郎宛葛西晴信黒印状。経緯は不明

安部小次郎感状が、毛利氏の手元に渡った経過などを知るために、石巻市役所に問い合わせ、次の回答をえることができました。関係の皆さまに感謝しております。 【石巻市役所】 ①毛利総七郎の収集コレクション 毛利コレクションとは、石巻市住吉町在住の古毛…

気仙兵乱の軍功は小次郎含む46人。うち感状所有14名は子孫が所有しているが、小次郎のみ収集家の手元に

【岩手県史3・137】 気仙表6月の戦闘 気仙兵乱は、閏5月には戦斗があったことは伝わっていない。両方とも待機の形勢にあったものであろう。それが、6月に入ると、がぜん活発潑になったらしく、6月2日には、佐藤越中守、鳥畑主水、菅原上野介、金野次郎左衛…

「奥州仕置軍迎撃葛西将士名表」赤生津から白鳥民部

【葛西四百年・278】 1590年の奥州仕置軍迎撃葛西将士には、赤生津から白鳥民部の名があるが、安部小次郎の名はない。あるいは、白鳥城主で小次郎は住人であったためか? 1588年(天正16)に小次郎は黄海村に異動したことが考えられるが、黄海には、千葉新右…

刀狩を恐れた浪人は、帰農、改名、系図の隠匿四散。兵農分離と氏素性の抹殺

▼秀吉の奥州仕置 【花泉町史・110頁】 流の将士の多くは、帰農離散、何れも百姓か、流浪の士として地下に潜入して再起を期したのが本当らしい。この人々は屋敷の門に「サイカツの木」(葛西が勝からもじった)を植え同志の目印にしたと今尚伝えている。 また…