天正16年 浜田の乱に参戦した葛西家臣の軍功に対する恩賞は
現奥州市の参戦した家臣は7名いる。うち5名は感状(偽文書といわれる)がある。2名は感状はないが、系図に浜田参戦とある。加増された土地に住んでいる家臣もある。
それぞれの由緒から参戦は事実である。
史実から感状の発行日は、土地の加増された日ではなく、軍功のあった日である。
加増は、軍功のあった日ではなく、感状発行日より後に与えられた。
加増された土地に移住している例もあることから、その加増は、本人の希望を聞き入れている。
浜田の乱を抑えた天正16年は、信じられないほど多くの晴信感状が発行されている。土地の発給の調整に相当の時間を要すると考えられる。
2年後の天正18年葛西氏は没落。葛西晴信は改易される。この2年間で、23件分の要望を聞き入れ、飛び地である何千町という土地を調整して給付できたであろうか。しかも、天正18年の奥州仕置きを受けようとしているこの時期に。奥州仕置き後は、全ての領地が没収されている。
奥州仕置き前の土地の給与は間に合わなかったのではないか。
奥州仕置き後
葛西晴信は、もはや存在しない。元家臣から約束の恩給を求める声というより、領地没収にあい、浪人となり、次の移住先の土地を確保してほしい声があったのではないか。落ち延びたその移住先を、恩給としてほしい声があったのではないか。
元家臣は、再起を願っている。やがて、その地域の有力者となる人物である。その者に藩の有力者が配慮して、後年に、葛西晴信感状による土地給付を認めたのではないか。その発給日は、葛西没落前の軍功のあった日に遡り。
奥州仕置きにより、葛西氏の発給文書は全て失う。葛西晴信黒印もである。よって、新たに黒印を複製したのではないか。
黒印は偽物であるかもしれないが、軍功は事実を記載し、土地は移住先などを記載したのではないか。
単に、葛西晴信黒印状を名誉や権威をほしいがために、偽書を作成したとすれば、その嘘は、この400年のうちに見抜かれ、そのコミュニティには存在できないのではないか。
葛西晴信が改易される2年前に、軍功をあげた多くの家臣は、葛西没落後浪人となり、領地没収となる。せめて移住先の確保と、再起をはたすために、葛西晴信の黒印状を必要としたのではないか。
これは不正ではない。多くの浪人が、新たな藩体制のもで、再起できるように、配慮したものである。
問題は誰が、何の意図で感状を交付したかである。
民間の営利を目的とした者であるか。感状を要望により作成し、商売としたのであるか。それは、土地の所有権を示す、あるいは拡大することを望みとするものであろうか。いや、没収された土地をそんなに、自由にできるはずはない。秀吉の検地がある。
コミュニティに示す嘘のプライドのためにお金を払う者は、有力者として長続きしない。