安倍頼時 あべのよりとき(?~1057)
平安中期の陸奥国の豪族。初名は頼良。「陸奥話記」に「六箇郡之司」とあり、胆沢・江刺・和賀・稗貫・斯波・岩手のいわゆる奥六郡を実質的に支配し、その南端の衣河関(衣川村)に本拠を構えた。その権限は、祖父忠頼・父忠良以来在庁官人の筆頭として鎮守府を運営してきたことに由来すると思われる。永承6年に鬼切部(宮城県)で陸奥守藤原登任軍を撃破したことが前九年合戦の発端となり、天喜4年に源頼義と本格的な戦争状態に突入し、翌年離反した同安倍富忠の軍勢と戦い負傷、鳥海柵(金ヶ崎町)で死去した。子に貞任・宗任のほか正任・家任・則任らがいる。
(岩手県姓名辞典)