赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

比與鳥柵跡は白鳥舘。安倍則任を比與鳥七郎、または白鳥七郎という(仙台叢書)

 

「仙台叢書第七巻」

「囊塵埃捨録」

 

「比浦柵迹。都鳥村」

「白鳥舘の領主比與鳥七郎則任を白鳥七郎と云り。則ち家任の舎弟なり。」

 

「比與鳥柵跡」

「衆人此柵を白鳥舘と云。前九年の合戦に。安倍頼時が。七男比與鳥七郎則任。此柵に楯籠官軍と戦ふ。加藤修理少進景道・清原荒川太郎武貞に。攻陥されて没落す。則任源家へ降参す此則任を比與鳥七郎と云。又白鳥七郎と云り。

 

 

 

比與鳥柵跡は白鳥舘。安倍則任を比與鳥七郎、または白鳥七郎という