赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

奥州仕置きまで、小次郎が黄海村に2年いたのか?

 

天正15年(1587)赤生津村に五千刈

 東館に外記之介、上野、大学、その弟左近小次郎 

天正16年(1588)黄海村に五千刈

 東館に外記之介、上野、大学、

 黄海村に左近小次郎 

天正18年(1590)外記之介死去、奥州仕置き

 赤生津に左近小次郎が戻る?

 赤荻村に上野、大学が戻る。外記之介の墓は赤荻に

 

岩手県史3・145】

安部左近小次郎は、祖父の遺領に居住していたものであろう。したがって、安部小次郎は、外記之介拝領の赤生津村5千苅を継承して分立領地し、天正16年軍功によって、さらに黄海邑内知行所に移動のあったことを示している。さらに佐々木貞綱も黄海村内及横沢の内において2千苅の地を宛行されているのは注意される。黄海氏など、所領削減が想像されよう。