赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

毛利コレクションとなった安部小次郎宛葛西晴信黒印状。経緯は不明

安部小次郎感状が、毛利氏の手元に渡った経過などを知るために、石巻市役所に問い合わせ、次の回答をえることができました。関係の皆さまに感謝しております。

 

石巻市役所】

 ①毛利総七郎の収集コレクション

毛利コレクションとは、石巻市住吉町在住の古毛利総七郎が70年かけて収集した資料群です。

国指定史跡沼津貝塚の出土品を始めとする考古資料、石巻鋳銭場資料や仙台藩関係資料を中心とする歴史資料、アイヌ資料などのほか、切手やマッチラベルなど多種多様な資料で構成されています。

 

毛利コレクションには、葛西晴信黒印状は2通あり、1通は件の安部小次郎宛のもの、もう1通は石森掃部左衛門宛のものです。

毛利が安部宛のものをどういった経緯で入手したのかは詳らかではありませんが、石森掃部左衛門宛のものは齋藤報恩会所蔵資料(現在は仙台市博物館所蔵)にもみられますので、

おそらく石森子孫が伝えていたものが大正~昭和期のある段階に散逸し、毛利と齋藤報恩会がそれぞれ入手したものと考えられます。

したがって、安部宛のものも、大正~昭和期に子孫の手を離れ、毛利が入手した可能性が想定できます。

 

 

②安部小次郎宛葛西晴信黒印状

毛利コレクションの安部小次郎宛葛西晴信黒印状は、香炉型印を用いておりますが、残念ながら偽文書と判断しています。

葛西晴信発給文書に偽文書が多いことは、すでに森ノブ氏の研究で指摘されているところです。

森氏は、「左京大夫」「左京太夫晴信」「晴信」の署名で高崩花押を用いたもの江戸時代に作成された偽文書であることを指摘するとともに、それらが「同一人の筆跡ではないか」と述べ、「従来葛西文書と称せられた文書中香炉文書が正しい葛西文書と称すべきであると考える」と見解を示しました(森ノブ「葛西文書の史料価値に対する一試論」(『岩手史学研究』43、1964年)参照)。

しかし、その後の研究の進展によって、香炉型印の据えられた文書も正文と偽文書とに分けられることが小林清治氏によって明らかにされ(小林政治「葛西晴信黒印状について」(同『戦国期奥羽の地域と大名・郡主』岩田書院、2018年。初出1988年)参照)、

石田悦夫は葛西晴信黒印状を網羅的に収集し、真偽の判別ポイントと偽文書目録一覧を作成しました(石田悦夫「第三章戦国大名 第四節葛西文書」(『石巻の歴史』第6巻特別編、1992年)参照)。

 

それらの研究成果に従えば、正文は①香炉印の上部に二つの突起があり(偽文書にはない)、②香炉の腕が上部がしまり気味で肘が角ばっている(偽文書は開き気味である)、③香炉の底の横線も明瞭で地についている(偽文書は不鮮明)、といった特徴を有しておりますが、

件の安部小次郎宛はこれらの特徴とは合致せず、偽文書の特徴を有しています。

 

小職は葛西晴信黒印状について、毛利コレクションの2通を始め、仙台市博物館蔵、もりおか歴史文化館蔵、一関市博物館蔵のものを調査しておりますが、小林・石田両氏の見解を覆すような知見を得ることはできませんでした。

 

現段階の研究では、葛西晴信発給文書の偽文書が江戸時代の仙台藩領で作成されなければならなかったのかについて明確な回答が出されておりません。

今後さらに研究が進展するなかで、新たな知見が得られるものと思います。

 

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