赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

赤生津七軒 

宿屋敷(大石家)

中世後期に赤生津城白鳥氏の家老を務めた家柄。

寛永年間から明暦三年まで茂右衛門が初代肝入。

茂氏は生母村長、前沢町文化財委員。

 

箱根屋敷(三浦家)

先祖は相模国三浦半島の豪族三浦氏の後裔、戦いに敗れ福島、次いで平泉に逃れて赤生津に定住。

一族の氏神として箱根権現を祀った。

 

西屋敷(小野寺家)

清原武則の流れをくむ仙北郡(秋田県)横手の領主小野寺氏の後裔。奥州合戦で、源頼朝から小野寺の姓と知行を賜る。

奥州仕置で目呂木に住し、赤生津へ移住。

 

北畑屋敷(初貝家)

 

竹内屋敷(佐藤家)

 

東屋敷(源四郎)