赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

2021-01-01から1年間の記事一覧

【最終稿】第七報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証

左近が小次郎である出典、天和三年(一六八三)赤生津村改名者は一〇人を加えました。 修正に関してご指導いただいた皆様ありがとうございました。 「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第七報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家…

【第6校】第七報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証

【修正箇所】小次郎感状は阿部随波が所蔵していたことを加えました。 「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第七報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証 一 概要 豊臣秀吉の奥州仕置による…

著者・偽書に関して

【著者・偽書に関して】 今後の研究課題として、気仙兵乱に関わった安部外記之助と安部小次郎の軍功を表す葛西晴信感状に対する偽文書の疑いについて、何らかの意見が加えられなければならない。気仙兵乱に関わる葛西晴信感状は、石巻市の平成3年の研究によ…

小次郎宛晴信感状は、仙台藩士「阿部隋波」系統が所蔵していた⁉

【奥州市歴史遺産課 高橋氏】 仙台藩士阿倍家が所蔵している旨が「伊達世臣家譜」阿倍に書かれてあるという。(※ご教示ありがとうございます) 「伊達世臣家譜」阿倍 「葛西晴信賜感状、今蔵ニ干稠賀之家」とある。山目村の阿倍6代稠賀が所蔵とある。 仙台藩…

【最終に近い6校】第七報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証

「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第七報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証 一 概要 豊臣秀吉の奥州仕置による葛西没落後に、葛西旧臣から伊達家の家臣となった一族は多い。百石以上…

伊達世臣家譜に小次郎「赤生津に居り、五千刈(8町歩)の地を領し」。寛永には4町7反か

伊達世臣家譜の安倍小次郎は、「天正の頃(1587年頃)磐井郡赤生津に居り、五千刈(八町歩)を領し」とあり、「岩手県史」第4巻(71頁)の寛永19年(1642)検地帳には、畑屋敷安部三四郎4町7反4畝27歩で持高3〆(貫)857文とある。 小次郎が畑屋敷安部で…

藤原姓を称し、衣川安倍氏の末裔を伝える阿倍氏の系統とは?

葛西氏家臣団事典(11頁)の赤荻安部氏では、「西磐井郡の阿部(安倍)氏は衣川阿部氏の末裔と伝わり、……」とあるが、「安部家系図及阿部家由緒略記」が出典であると考えられる。 もう一方では、安部外記之介は、藤原泰衡の嫡男「良親」を祖とする荻荘家と血…

安部小次郎の甥の孫「阿部随波」はなぜ、伊達世臣家譜で、出自を「藤原姓」を称するか?

「伊達世臣家譜」阿倍 (岩手県南史談会 研究紀要資料集(その二)復刊紀要119頁 阿倍隋波と仙台藩の庶民知行 及川大渓) 姓は藤原、阿倍大学の次男讃岐を祖とする。その祖小次郎重綱(※1)というもの、葛西氏に仕えて天正の頃磐井郡赤生津に居り、五千刈の…

第7報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証【第5校】

「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第7報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証 1 概要 豊臣秀吉の奥州仕置による葛西没落後に、葛西旧臣から伊達家の家臣となった一族は多い。百石以上…

第7報の見直し

葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証 (問題の設定) 前沢町史では安部小次郎は赤生津から赤荻に帰農し、一関側では赤荻に帰農の史料は未見という地方史の相違点を解決する。 (どのよう…

第7報 葛西家臣安部小次郎系統と「白鳥村舘から移住した赤生津安部系統」に関する検証【第4校】

「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第7報 葛西家臣安部小次郎系統と「白鳥村舘から移住した赤生津安部系統」に関する検証 1 はじめに 前沢生母赤生津地域には、安部姓が多く、古代東北の雄として名を馳せた安倍氏の子孫であるという言い伝えがある。この研…

佐沼家臣に安倍出雲頼春(1300~1400年代)。佐沼城に安倍氏いたか?

【研究紀要30集・59】 荻荘家 9代 正義(1384没) 子の「きく」 佐沼家中安倍出雲頼春の妻 【当調査】 安部外記之助は、佐沼城主(臣?)という。安倍出雲と関係は? 【栗原郡佐沼喜多方村在所拝領】 文明(1469-1487)の頃、佐沼右衛門佐平の直信住居仕り

安部外記之介は「葛西氏の執事」?

【仙台領の戦国誌・196】 気仙の暗雲、「浜田の大乱」 「古文書」によると、葛西晴信はこの争乱を、本吉氏側に落度があるものとし、「お前には、武力抗争のために立ち上がった正当な理由があるのだ、わしは少しもお前をとがめる意志などない、勝利に終わって…

荻荘家と赤荻安部家は2人が血縁関係。安部外記之介と子の上野は佐沼城に勤務?荻荘18代正久は、東山大原に加勢し佐沼城で討死

【研究紀要35集・52】 <下袋屋敷> ①安部外記之介ー②上野「葛西幕臣阿部上野総太郎頼成」-③大学 ※①佐沼城主(臣?)安倍外記之介。下袋阿部氏の祖 ※②上野は、佐沼城に奉仕。 ※【仙台領の戦国誌・196】①安部外記之介(葛西氏の執事職) <荻荘家> ⑰正權「…

佐沼城の住居人

【仙台領内古城・館2巻・324】 文治(1185-)年中 藤原秀衡家臣 照井太郎直高 住居仕り 文明(1469)頃 佐沼右衛門佐平の直信 住居仕り 天文(1532)年中 大崎御家臣 石川四郎右衛門直村法山入道 その子豊後義誠 その子丹後義広 その子彦九郎 まで4代住居仕…

荻荘系図に「佐沼城主安倍外記之介」。登米市の佐沼城臣?ルーツはどうなるか?

【研究紀要30集 赤荻・荻荘系譜の一考察・63】 荻荘系譜 ●16代 正綱 妻 弓子 女 鶴子 佐沼城主安倍外記之介の妻。天正18年葛西氏滅亡の際浪人生家に帰る。文禄3年甲午6月5日没す。註 下袋阿部氏の祖。 ●18代 正久 赤荻姓 覚波館主 天正18年8月 佐沼城で討死 …

「白鳥村照井ノ舘」に居た「照井太郎」年譜

【http://sendai-oldlocal-histry-takakura-kiyosi.saloon.jp/terui.htmll.htm】 伝承では藤原秀衡の家臣照井太郎高春が用水路の開削に着手し、その子孫高安が荻荘荘司大江氏と結んで造り上げたと言います(西磐井大肝入大槻久右衛門書上)。また藤原氏滅亡…

荻荘家の由来「藤原泰衡の子良衡」。照井高泰と荘園内の水利を興す

【照井土地改良区小誌・13】 荻荘荘司について 荻荘家の先祖は藤原泰衡の子良衡であります。 平泉藤原氏が文治5年(1190)源頼朝の大軍に攻められたとき、秀衡の子万寿丸(2歳)は祖母徳子(秀衡の妻)母頼子と共に僧助光坊の計らいに依り須川嶽を超え鎧谷頼…

荻荘家と照井家は2度(1208年・1493年)共同して照井堰を開削

【幾星霜 照井土地改良区 474】 〇1208年(承元2) 照井高泰・荻荘荘司と共に磐井川両岸に穴堰開鑿し、山目境まで掘鑿 〇1493年(明応2) 照井高安(高直?)、荻荘荘司と相謀り私費にて磐井川両岸に穴堰を通し、山目、一関方面へ導水、右岸を南照井堰、左岸…

白鳥村照井之舘にいた「照井太郎高春」の照井堰とは

【幾星霜 照井土地改良区・98】 【いわての農業にまつわる物語「照井堰と弁慶」・岩手県農林水産部】

新たな仮説「1481年の 照井太郎隆定(又は子)が安倍外記之介」?

【当調査】 1158年、赤荻・荻荘系図に「佐沼城(登米郡)城主 安倍外記之介」。照井高直(照井子孫)は佐沼城に居住で征伐の難を避け照井堰を開削に来た。1300年代は消息不明。 1481年、照井忠基の後裔が平泉に戻る。1493年には荻荘と共に開削。その後の消息…

白鳥村照井舘は、「照井太郎孝治(1100年代)」の居館、墓は「照井神社(一関市中里)」

【水土里ネットてるい】「照井堰とそれを完成させて照井太郎のお話」 〇照井太郎高春のお墓 ・一関市中里字照井地内にある「照井神社」の五輪塔 ・五輪塔は平安時代の特徴的なお墓である。 〇照井太郎高春の住んでいたところ ・照井太郎高春の住まいは照井館…

安倍家系図と白鳥氏、照井氏との血縁関係は?

【①赤生津安部】 白鳥七郎→衣川落城→白鳥村手類(照井?)之舘居住→藤原三代に仕える→高館落城→葛西家臣17代まで仕える→葛西没落で手類之舘住めず→赤生津村に移る 【②赤荻安部】 衣川安倍を祖→外記之介は赤荻といわれるが赤生津居住→葛西没落後→子孫は赤荻へ…

白鳥は葛西の直轄地。恩賞だけの家臣除き、居住した城主は、白鳥治部、照井高晴のみではないか?そのうち天正中いたのは白鳥、照井は子孫がいた

【前沢町史中巻160】 白鳥は葛西の直轄地か 白鳥村は再三、葛西の恩賞の地となっている。 永享11年(1439)金沢北館主熊谷小太郎直胤に 1万2千苅 天文12年(1543)前沢領主三田主計頭重明に永代 5千苅 永禄11年(1568)猪岡領主猪岡又太郎に永代 2千苅【偽書…

天正のころ昔木館(前沢城)に阿部四郎丈夫安部成(しげ)任古雄居給(いたまう)。安倍一族か?

【前澤町郷土史史料・2】 〇昔木明神 〇昔木館 葛西動乱期の追記、樫山伊勢守二男居城の頃に、前沢御沢城居住す、此城は元来阿部四郎丈夫安部成(しげ)任古雄居給、昔木館と云名地也古来明神の社地有、此所は白狐住玉山御室有此城は官位無くして難所なり (…

「白鳥八郎行任」は白鳥舘に「白鳥七郎則任」は津軽に逃げ白鳥へ?

【前沢町郷土史史料・3】 〇白鳥舘(白鳥村風土記) 本丸 南北42間 東西14間 二丸 南北50間 東西14間 三丸 南北38間 東西14間 右城主往古阿部頼時の八男白鳥八郎行任と申伝候、其後白鳥治部少輔と申御方天正中御住居之由申候 〇山城白鳥城(仙台古城書上) …

照井舘主の子孫照井高安は、荻荘荘司(藤原泰衡子孫で赤荻安部の親戚?)と照井堰を完成させた?

【照井土地改良区の概要】http://www.terui1170.com/category7/ 当時、干魃や飢饉で苦しみ悩まされ続けた村々の窮地を救うために立ち上がったのが、鎮守府軍藤原秀衡公の家臣で普請奉行であった照井太郎高春である。その高春の企画により、五串の滝(天然記…

「照井館(太郎高晴 新城館 熊谷直胤一万一1千刈加賜)」の新城館とは?熊谷直胤?

白鳥村の新城は、地方史では館主不明である。熊谷直胤氏が、住することなく葛西氏から土地を拝領したのみではないか。 【前沢町郷土史史料】 〇新城(白鳥村風土記) 南北50間 東西14間 古城主年月日相知不申候 【前沢町史】 位置 前沢町白鳥字新城 国道4号…

照井館「太郎高晴(1189)」は、代々照井堰を開削した家系。現在の堰は「世界かんがい施設遺産」に。1500年頃は白鳥郷主ともある

【当調査】 照井氏は、初代高春(1189)から数代まで白鳥への開堰にあたり、一関の照井堰の開堰へと移っていったのではないか。照井館の館主は初代の高春だけである。館には子孫が住んでいたか。 岩手県史には、白鳥邑「照井舘」館主に「照井太郎高春」とあ…

「白鳥邑 手類之舘」は「白鳥邑 照井館」か。

下屋敷から発見された由緒は3種類あり。古い順に ①「安倍家系図」から書き出しがはじまる系図・・・由緒と初代から2代目まで ②「磐井郡東山」からはじまる系図・・・由緒と初代から5代目まで ③「磐井郡東山」からはじまる系図・・・由緒と初代から5代までと…